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タケオコンサートありがとうございました^^

2012年11月04日

 Kchan at 02:27  | Comments(0) | 母の気持ち
タケオコンサートin長野、無事終了しました。
とっても楽しいコンサートでした。

タケオさんは、ピアノを習い始めたけれど、音符が読めないので楽譜通りひくことはやめてしまったというようなことが、映画に出てきました。
タケオさんの音楽は、理屈じゃありません。
アフリカンドラムもピアノもみな即興です。
音符通り弾ける人はたくさんいるけれど、自分の心のままに演奏して人を楽しませられる人は、そうたくさんはいないんじゃないかな。
そういえばビートルズも音符を読めませんでしたよね。(笑)

♪      ♪       ♪

親の会主催のイベントなので、ダウン症の子どもたちも(成人も)たくさん来ていて、みんなアフリカンパーカッションの響きに踊りだし、楽器を鳴らしてノリノリでした。face02
楽器をもってきてください、ということでしたが、中には自分専用のジャンベ(アフリカンドラム)を持参された方もいて
タケオさんのきょうだいだと思った人もいたようです。face03

長野市にも、なんとジャンベを教えてくれる教室があるようですよ。
もんぜんぷら座の地下でやっているようです。
興味のある方は、問い合わせてみてくださいね。^^

また、長野で障害のある子どもたちを対象としたドラムサークルもサンアップルでやっています。
それは後日あらためてご紹介したいです。

とっても楽しそうな、生きるエネルギーにあふれた子どもたちを見て、なんだか涙が出てきてしまいました。
この子たちが、産まれてきたら可哀想ですって?どこが?
と思ってしまったのです。
それは、IQが高いことが幸せと信じ込んでいる人たちの、偏った考えだな、と思います。
エリート大学生だって自殺するじゃないですか。日本人は自殺大国じゃないですか。
でも少なくともこの子たちは、生きる楽しさに満ち溢れている
それが大事なことじゃないかな?

信毎で「出生前診断」の特集をやっていましたね。
今忙しいので、また時間ができたら続きを書きたいと思っています。face02  


出生前診断について その6

2012年10月14日

 Kchan at 23:24  | Comments(0) | 母の気持ち
さて、今回は「知的障害とは何か?」ということについて書いてみたいと思います。

ダウン症の子には合併症がいろいろありますが、そのひとつが知的障害です。
(知的障害のないダウン症の子も、少数派ですがいます)
おそらく、あなたのお子さんはダウン症ですと言われて一番ショックを受けるのは、身体が弱いことよりも何よりも知的障害ということに対してなのだろうと思われます。

でも、一体、知的障害っていうのは、なんなのでしょうか?

知的障害というのは、「知能指数(いわゆるIQ)が70ないし75未満(以下)のもの」なんて定義されることがあります。
では知能指数(IQ)が低いということは、その子の知能が低いってことなんでしょうか?
そうじゃないんですよね~。

知能指数(IQ)を出す公式は「精神年齢 ÷ 生活年齢 × 100」です。生活年齢というのは、実際の年齢です。精神年齢というのは、知能テストで出た、その子のできた問題に相当する年齢のことです。 
注目すべきは、年齢が分母にあることです
これはどういうことかというと、同じ知的能力のある人がふたりいたとすると、年齢が幼いほどIQが高くなり、年齢が高いほどIQが低くなるということなんです。
これはちょっと考えてみればわかります。
大学生の問題を、大学生が解けても、ふつーというか当たり前です。
でも、それを小学生が解けたら、すごい。
逆に、小学生の問題を、大学生が解けなかったら、IQとしては低くなってしまうわけです。

というわけで、10歳レベルの問題を5歳の子が解けたら、IQ200になって天才とか言われます。
同じ問題を、10歳の子が解けても、平凡です。
20歳になって解けても、誰もほめてくれない。
・・・それで、「神童も、20歳過ぎたらただの人」ということになってしまうわけですね。

つまり、知的障害の定義となっているIQというのは、「その人の知能自体が劣っているかどうか」ではなく、「標準と比べてどれだけ早熟か(あるいはどれだけ遅れているか)」という尺度にすぎないんです。

ダウン症の子は、成長がゆっくりだって言われます。
だから、IQが低く出るのは、当たり前なんです。
IQが低いということは、同年齢の子たちに比べて、遅れてるっていう意味ですからね。
それに、知能テストに使われるようなひねった問題は、ダウン症の子が苦手とする分野で、なかなかいい点がとれなかったりします。算数とか、苦手な子が多いようです。

でも、人の知性というのは、勉強ができることだけじゃないですよね。
相手の気持ちを思いやったり、人の役に立ちたいと思ったり、そういう気持ちのある人は私は知的だと思います。
いくら勉強ができても、自分さえよければ・・・という人ではね。
人の気持ちを汲み取ったり、周りの状況を察したりする力の優れたダウン症の方はいっぱいいますよ

知的障害というのは、人間の能力のごく一部(特にお勉強的な力)について、発達が人より遅れているってことだったんですね。
もう、すべてにおいて、100%、能力が低いと思っていませんでしたか?
かく言う私も、知的障害があるということは、何もわからないんだと思っていました。icon10いいことと悪いこともわからないのかも、と思っていました。
今育てていて、私は普通の子どもとして接しています。ちゃんと話も通じます。道理も通ります。
知的障害児かと言われればその通りなんですが、普段暮らしていて、障害を意識することはあまりないですね。face02

まあ個人的な結論としては、「知的障害とは、少なくとも、命を絶たれなければならないようなものでは決してないですよ」と言いたいですね。  


出生前診断について その5

2012年10月12日

 Kchan at 00:12  | Comments(0) | 母の気持ち
シリーズで出生前診断について書いていますが、ここで私の主張したいことは「出生前診断をするな」とか「堕胎をするな」とか言うことではありません。
(実際、周りには、産むことを前提に(赤ちゃんを最善の状態で迎える準備をするために)出生前診断をするお母さんもいらっしゃいます)
私が言いたいのは、命に対しては、事実をよく知った上で決断してほしいということなのです。

♪     ♪     ♪

さて、今回は、「障害児を育てる喜び」についてです。♪

以前、ダウン症の赤ちゃんが生まれたばかりのお母さんから、メールで質問されたことがあります。
障害児を育てる喜びっていうものは本当にあるんですか。あるとしたらそれは具体的にはどんなものなんですか?」


そのお母さんは、まだ葛藤の中にいて、想像できなかったんですね。
障害児を育てることに、少しでも喜びなんて要素があるってことが。

私はまだ数年間しか育てていませんが、現時点でわかることを伝えました。

障害を持つ子どもを育てる喜びというのは、「子どもを育てる喜び」そのものです。
健常児を育てる喜びと、変りません。
変らないどころか、もっと大きいと言えるくらいだと、私は思いますし、周りの人もみなそう言います。

たとえてみれば、
種をまいてからあっという間に大きくなって10日くらいで花が咲く花があったとします。
それとは別に、花が咲くまでに数年かかる花があったとします。
どちらの花を育てる方が、喜びが大きいでしょうか?
・・・というようなものだと思います。
私だったら、数年間、待ちに待って、やっと花が咲いたときは、ものすごく嬉しいだろうなあと思います。
10日くらいで咲く花は、もしかして、忙しい毎日の中で、花が咲いたことさえ、気付かずに見過ごしてしまうかもしれません。

上の子たちは、いつしゃべったかとか、いつ歩いたかとか、実はあまり記憶に残ってないんです。
だって、しゃべれて当たり前、歩けて当たり前だから。
特に何も練習しなくても、いつの間にか、そうなっていたから。

・・・(中略)

でも、(障害のある)子が初めてしゃべったとき、歩いたとき、どれほど家族中で大喜びしたことでしょうか。
それどころか、もっと些細な進歩のひとつひとつが、いちいち大きな感動と湧き上がる喜びを与えてくれるのです。

つまり、子育てはもともと楽しいものですが、障害児の子育ては、そのひとつひとつの成長の喜びが、健常児の子育てよりももっと拡大されているって感じですね。

手のかかる子ほど可愛いと言いますが、成長するのに時間のかかる障害のある子どもほど、可愛さ倍増という感じですよ。

そう、「苦労は2倍、喜びは10倍」ってやつですね。^^
(ま、苦労と思ったことはないですが・・・。ダウン症の子は、大人しいです。上の子たちのときの方が大変だった記憶ばかりがあって・・・新米母だったからかな)

こんなWEBマンガはいかがですか。
ダウン症のユンタくんをはじめ、3人の男の子のお母さんが描いているマンガです。
http://www.f-bungei.jp/Essay/?cID=12&nID=9

シリーズで今20回まであるのでよかったら読んでみてください。
障害のある子を育てるというのも、普通の日常だってことが、わかってもらえるかなと思います。^^  


出生前診断について その4

2012年10月11日

 Kchan at 01:15  | Comments(0) | 母の気持ち
私なら、ダウン症ってわかったら、絶対産まない。むりー。」という意見も、耳にします。
(正確には、ネットで見かけます。)

どうしてかな?って理由を見てみると、

「ダウン症の子を産んだら、もう仕事も続けられない。もう旅行にも行けない、外食もできない、一生この子の介護で終わる。苦労が多すぎ。経済的に無理」
・・・っていう理由だったりするんです。

いやいやちょっと待ってください。これほど事実とかけ離れた理由はありませんicon10

私今日、ぷれジョブ関連の打ち合わせで楽しくランチしてきましたけど?
仕事してますけど。
というか、周りのお母さん、みんな仕事をもっています

だって、なかなか入れてくれる幼稚園がないので、集団生活を経験させるには、年少になったら保育園に入れるしかないでしょう。
保育園って、働いているお母さんの子どもしか、入れてくれないんです。
なので、ある意味、ダウン症の子のお母さんはみんな仕事をもたないといけない仕組みになってる。(笑)
もちろん、産休・育休をとったあと、フルタイムの仕事に戻って行かれるお母さんも多いです。

毎年キャンプとか旅行に行っています。海外旅行に行かれるご家庭も少なくないですよ。
うちは海外へは行きませんが、それはダウン症の子のせいじゃなくて、経済的な理由からです。face03

介護っていうことばには違和感が大きすぎます。
私はうちの子どもを、介護なんかしていませんよ。
子育てしているだけです。

私はうちの子が赤ちゃんのとき、思いました。
赤ちゃんは、何にもできないし、しゃべれないし、歩けないし、着替えさせないといけないし、おむつも替えないといけないし、食べさせないといけない。
でもこんなに子育てが楽しいし、笑顔を見ると嬉しいし、心が通い合っている。
できないことが悲しいなんて、全然思いません。
それなら、これからはできることが増えていく一方なんだから、大丈夫、育てられる、と確信しました。(笑)

その気持ちは今日まで変わらないです。
赤ちゃんを介護って言わないですよね。
確かにダウン症の子は成長がゆっくりですが、私は、このゆっくりを楽しんでいます。

私の上の子たち、実はもう大きいんです。(年が離れているので)
たまに小さい頃のアルバムを見ると、もう懐かしくて涙があふれてきます。
3歳、4歳の頃の子どもたち。かわいくてかわいくて。
中学生の今がダメというわけじゃないけれど、それでもあの頃の子どもたちに、もう一度会えたなら
・・・親って、時にそういうことを思ったりしませんか?
子どもが親に全幅の信頼を置いている時期、幼い時期は、あまりに短く、あまりに早く子どもは成長します。
もう一度、一から子育てをしたいと思った私に、ゆっくり育つダウン症の赤ちゃんは、神様からのプレゼントに思えました。
人間には老いや死があるからこそ、今の楽しく輝いている親子関係は、永遠ではないことを、しみじみと思います。
もっともっと、今の幼い時期の一日一日を楽しみたいと思います。icon12

・・・おっと感傷に浸ってしまいましたが、話を戻して。
経済的に大変っていうのは、どういうことなのでしょうね。
お子さんが病気がちだとしても(うちはすごく丈夫ですが)、長野市には福祉医療費制度があって、小学校6年生までかかった医療費は返金されますよね。
ダウン症の子は保育園に入れますので(保育園に入れないお子さんも、児童デイサービスというのがあるので)仕事は続けられます。
療育に通うお金も、福祉医療費でまかなわれます。
眼鏡も、靴などの装具も、必要になったら保険がききます。
何より、特別児童扶養手当重度心身障害児福祉年金がいただけるので、むしろ一家の稼ぎ手です。^^;
もちろん、児童手当もね。

このような各種手当がいただけるので、経済的という観点だけから言うならば、
ダウン症の子が育てられないというなら、健常の子なんてもっと育てられない、というのが正確なところでしょうね。
(大学へ行きたいとか言い出したら大変ですよ~笑、しかも、大学へは行きたいけれど、国公立は無理という感じだったら・・・)
将来も、障害者年金がもらえますしね。
そういう意味では、社会に守られている存在です。

今の日本では、子どもに障害があることを理由に堕胎をすることは、法律では認められていません
だから実際には、みんな「経済的に産めない」という理由をつけているのだろうと思います。
でも、上のことを考えると、その理由はあてはまらないのです。
結局は、「障害」っていう響き(イメージ)だけで、拒否反応を起こしているのかもしれませんね。
つづく  


出生前診断について その3

2012年10月08日

 Kchan at 22:05  | Comments(0) | 母の気持ち
ダウン症のこと、もっと知ってもらいたいと前回書きました。
なぜなら、ダウン症は、産まれる前にわかる障害だから。
そして、親の遺伝関係なく、どの家庭にも(20代のお母さんからも)産まれてくる可能性がある障害だから。

親の会として、ある学校に電話をかけたことがあります。
そこの先生は、「車いすの方が大勢見えるんですか?」と言われました。

・・・私の知っているダウン症の子で、歩けない子はいません。icon10
遅い早いの差はあっても、ダウン症は歩けないという障害ではないんです。
でもダウン症ときいて、その先生は「車いす」をイメージしたんですね。

でもその先生が特別なわけじゃありません。
一般の人の「ダウン症」のイメージって、そんなものなのかもしれません。
おそらく、ダウン症とわかって産まない選択をする8割の妊婦さんのほとんどが、ダウン症のことをよく知らないんだと思います
だって、ダウン症のお母さんたちも言ってますもの。
「ダウン症のこと、よく知らなかったから、(告知されたとき)あんなに泣いたのよね。」

そもそも、「ダウン症」の「ダウン」って、「アップダウン」の「ダウン」じゃなくて、「ダウン博士」の「ダウン」っていう人名なんだってこと、知らない人だっているんです。
どんどんダウン(下降気味?)になっていく症候群じゃないですよ。face03

ちゃんと社会人として働いている人だってたくさんいますよ。
こんな動画はいかがですか。
スポーツデポで働いているダウン症の方へのインタビューです。
http://www.atarimae.jp/crosstalk/013/movie.html#movie

タケオさんの、マリンバ演奏の動画、見つけました。^^
即興演奏です。
http://youtu.be/xoPkCghgpOg

それから、ピアニストの越智章仁さん。数年前、長野にもいらっしゃいました。^^
即興で自作の曲を披露しています。
http://youtu.be/M_8NAhUpGDY

大学に進学する人や、こういう人たちは特別な人たちだと思うでしょうか?
もちろん、ダウン症の人にもアートの才能がある人とない人がいるのは、健常者にもある人とない人がいるのと同じです。

ダウン症といっても、21番染色体が3本あることを指しているにすぎません。
その中には、体の丈夫な人もいれば弱い人もいます。
アートの才能のある人もない人もいます。
勉強のできる人もいればできない人もいます。

・・・これって、健常の子どもだって同じですよね。
確率的には後者の方が多いのかもしれませんが、とにかくダウン症=合併症ではないし、ダウン症=知的障害でもないのです。

出生前診断でわかるのは、ダウン症かどうかということだけで、ひと口にダウン症といっても、実に多様な人たちがいるのです。

特別な才能をもっていなくても、毎日楽しく暮らしている人たちはたくさんいます。icon12

ぜひ、日本ブログ村の「ダウン症児育児」カテゴリを覗いてみてください。
たくさんのお母さんが、ブログを綴っています。
笑いあり、涙ありの日常は、障害のないお子さんを育てるときと、まったく同じですよ。

つづく  


出生前診断について その2

2012年10月07日

 Kchan at 23:02  | Comments(0) | 母の気持ち
私は、高齢出産でしたが、産まれる2カ月前くらいに、産院を変えさせられました。
もしかして、検査を勧めなかったお医者さんが、あとで訴えられると心配したのかもしれません。(?)
でも、もしそうだったとしても、そんな必要は全然なかったんです。
私はその前に流産していたので、赤ちゃんが無事に産まれてきてくれたことが嬉しくて、それに比べたら、赤ちゃんがダウン症だったことは、小さいことだったからです。
検査の存在自体は知っていましたが、無事産まれてこられるか心配で心配で、自分が赤ちゃんの検査をするなど、考えもしなかったことでした。

私の周囲にも、赤ちゃんがダウン症だったと知っても、淡々と受け止めているお母さんが少なからずいます。
。その中には、「小学校の頃、クラスにダウン症の子がいたから」と言う理由を言った人がいました。

私も、上の子のお友だちのお姉さんがダウン症で、小学校で普通学級に通って勉強しているのを見ていました。
お話もしますし、仲良しのお友だちもいるし、ピアノも習っているし、漢字の書き取りもやっていました。

あの女の子のことを近くで見ていたから、それほど悲しむべきこととは思わなかったのです。
ただ、世間の出世コース(?)学歴コース(?)とは違う人生を歩むんだろうな、と思っただけで。

♪     ♪     ♪

みなさんは、ダウン症のこと、どれくらい知っていますか?
歩けない、しゃべれない、何もわからない、自分では何もできない、一生おむつ、とか、思っていませんか?
「ダウン症とわかったら、産まない」と言う方を、私は批判するつもりはありません。
人の考え方、環境はさまざまですから。
ただ、決断は、ダウン症のことをよく知ってからでも、遅くはないと思います。
それが、お腹に宿った赤ちゃんとその命に対する、最低限の礼儀だと思うのです。

私は、歩けない、しゃべれない人たちは産まれてこれなくても仕方がないと言っているわけではありません。
ただ、ダウン症はそういう障害ではないということを、知ってもらいたいということなのです。
なぜって、ダウン症は、産まれる前にわかる障害の代表選手だから。^^;
つづく。
  


出生前診断について その1

2012年10月05日

 Kchan at 14:53  | Comments(0) | 母の気持ち
少し前、新型出生前診断が話題になりましたね。

血液検査だけで、妊娠の初期の段階で胎児の染色体異常がわかるというものです。
事実上ダウン症かどうか(13トリソミーや18トリソミーもありますけど)がわかる検査と言ってもよいと思います。

私はダウン症児の親なので、ダウン症について書きますが、
ダウン症は、親の遺伝や人種に関係なく、どの家庭にもある一定の割合で生まれてくる可能性がある障害です。

ただ、年齢だけは、母親の年齢が高いほど生まれる確率が高くなるとされていますが、
実際20代で産んでいる人は多いです。
というのも、20代の人は出産の数そのものが多い(分母が大きい)ので、ダウン症の割合は少なくなるのです。
人数としては20代のお母さんから生まれてくるダウン症の子の数が多いはずです。

障害はダウン症だけでなく、トータルすると、国民の20人にひとりが障害者ということになりますから、誰もが障害ということには無関心ではいられないと思います。
(うつ病などの精神障害とか、発達障害とか、いろいろ含めると)

ある報告によると、出生前に赤ちゃんがダウン症とわかった親の8割が、堕胎をするそうです。
でも、わかっても、普通に産む選択をする人も、2割います。
また、これは知られていないことかもしれませんが、海外では、障害のある子どもをと望んで養子にする家庭が多くあります。
ダウン症の赤ちゃんは人気があり(笑)、生まれるて親が手放すと決意すると、いくつもの家庭が立候補し、その中で審査をし、ひとつの家庭が選ばれるそうです。

ダウン症の赤ちゃんが産まれることを望まない人と、
自分では産んではいないけれど、自ら望んで育てようとする人と。

人間の価値観というのはさまざまなんだな、と思います。

つづく
  


しまった( ̄◇ ̄;)

2012年05月27日

 Kchan at 23:46  | Comments(0) | 母の気持ち
去年参加した茶臼山動物園のドリームナイト・アット・ザ・ズー、今日話題にのぼって慌てて電話したら「昨日が締め切りでした」ですって。face07
このブログでご紹介できなくてすみません。icon10
(ドリームナイト・アット・ザ・ズーってなに?という方はこちら

あ~うちの子は動物園大大大好きなので、今年も行こうと思っていたのに。
申込締め切りを過ぎてしまったので仕方がないんですが、全然情報が入ってこなかった・・・。
地域の保育園や小学校へ通いだすと、途端にこうした情報が入らなくなりますね
今年4月(先月)にやった高嶋ちさ子のチャリティーバイオリンコンサートでも、障害児者を招待してくれたのだけどうちは申込みしそびれたし・・・face07
福祉施設や養護学校(特別支援学校)などにはちゃんと情報が届いているんですけどね

地域の園や学校に通っている障害のある子どもたちの親に、どうやったら講演会情報やイベント情報が渡るのか、そこが今後の課題かなと思います。
このブログがその一端を担えれば・・・とは思っているのですが(その割に更新が少ないですがicon10)私自身も情報が入ってこなくなったひとりなので、なかなか難しいものがありますね。

あ~来年は5月に入ったら茶臼山動物園に「今年はやりますか?」って忘れずに電話しよう~  


小学校に看護師配置

2012年04月03日

 Kchan at 15:31  | Comments(0) | 母の気持ち
3月31日(土)の信毎に、医療的ケアの必要な子が普通小学校に入学するのに、親が丸一日付き添わなくてもよいように、看護師を配置してくれた、という記事が載っていました。
よかったー、大きな前進ですね。

今は医療が進み、以前は助からなかった赤ちゃんが助かるようになりました。
小さく生まれた赤ちゃんも、病気を持って生まれた赤ちゃんも。

でも助かった赤ちゃんが育っていく環境は、まだ医療の進歩に追い付いていないのが現状です。

これは学校現場のことだけでなく、福祉施設にも言えることです。

児童デイサービスなどでは、看護師の不足が深刻です。
病院と比べて、指示を仰ぐ医師も常駐していない責任の重い現場で、何より報酬が非常に安い
なかなか来てくれる人がいないのだそうです。
そこで、医療的ケアの必要な子は、児童デイに通わせたくても、お断りされる日もあります。
保育園に通えない子の、保育園の代わりになるはずの児童デイなのに・・・

これは、ボランティア精神をもった看護師さんの登場を待つばかりなのか、
それとも、何か公的なしくみで市などが報酬を補償する必要があるのか・・・。
やはり補助金は必要ですよね。

新しくできる児童発達支援センターでは、看護師の常駐は実現するのでしょうか・・・  


タケオ見てきました

2012年03月30日

 Kchan at 10:46  | Comments(0) | 母の気持ち
記事連投です^^;

タケオ見てきました。
タケオさんが演奏するアフリカの民族楽器サバールの故郷、セネガルの文化や生活の紹介が結構ありました。

上映時間が夕方5:30~ということもあって、お客さんは少なかったけど、私の前に映画館を出たお客さんが、ダウン症についての展示をじーっと見ていてくださって嬉しかったです。

お孫さんにダウン症の赤ちゃんでも生まれたのかな?

♪    ♪    ♪

ダウン症の赤ちゃんって、親の遺伝子関係なく、どの家庭にも生まれる可能性のある赤ちゃんなんです。
1000人にひとりくらい。
母親が高齢なほど生まれる確率が高くなるなんて言われてますけど、実際は(出産数の分母が違うので)一番多く生まれているのは20代です

ダウン症が他の障害と区別される点のひとつが、生まれる前に検査でわかるということなんです。
私は受けませんでしたけどね。
だから、ダウン症のことをもっと理解してもらうこと、こんな風に成長して、こんなこともできるんだよってことを、多くの人に知ってもらうことって大事ではないかと思っています。

ダウン症は生まれてすぐに疑われ、生後1カ月くらいで判定が出る障害です。
生まれてからわかったお母さんが悲観するのも、やはりダウン症のことをよく知らないからじゃないかと思うんです。
周りのお母さんは、最初は泣いたけれど、今はわが子の可愛さにメロメロの方ばかりですよ。
「ダウン症」の子どもなら生まれてこないほうがいい、と思っているたくさんの人たちに、私たちの暮らしがどんなに「普通」の暮らしなのかを知ってほしい

 玉井邦夫先生のことばです。

♪    ♪    ♪

さて、「タケオ」本日が最終日ですよ!!

そして同じ長野ロキシーで、6月2日からは「ちづる」という自閉症の妹をお兄さんが撮った映画の放映が予定されています。
公式ホームページ
http://chizuru-movie.com/
こういう映画を放映してくれる映画館が、地域にあるのは、ありがたいことですねface02
  


須坂ぷれジョブフォーラム行ってきました

2012年02月11日

 Kchan at 23:52  | Comments(0) | 母の気持ち
いや~よかったです。icon12

須坂ぷれジョブの核となる考え方は「地域の子は地域で育てる」ということのようでした。

須坂市に、県下初の市立の養護学校ができたことはみなさん御存じのことと思います。
(スライドも見せていただきました。もう、養護学校と言っても、健常児との交流環境からいって特別支援学級と一緒ですね。
特別支援学級の地域性と養護学校の手厚さのいいとこ取りです)

そして、県下に2つしかない肢体不自由児学級があるという話も驚きました。
(もうひとつは佐久市だそうです)
ぷれジョブに参加した体験を作文にして発表してくれた男の子は、車いすの子でしたが、長野市ではそういう子を受け入れてくれる学校がありません。
過去記事でも書きましたが)
でも須坂にはあるんですね!!

そしてその子が、保育園に通っていたという話も驚きました。
長野市では、歩けない子は保育園には入れません。
また、母親が一緒の交流保育でさえも、あちこちの保育園でもみな断られた、という話を身近に聞きます。

歩けないってそんなに重大な障害だった??と驚くばかりです。
だって、市役所とか、NHKとか、そういうところで普通に働いている車いすの人、見かけますよ?
でもそれは、長野市だから。icon10
同じくらいの障害をもっていても、生まれた地域によってその後の生活が全然変わってくるというのは、切ない話ですね。icon10

あと、このぷれジョブフォーラムを聞きにこられた方で、「こんないい活動、不登校の子やいわゆる非行に走っている子たちもやった方がいいんじゃないか?」なんてことをおっしゃっていた方もいました。
将来的には障害の程度、重さによらず、また障害がなくても、特別な支援を必要とする子どもすべてに対して開かれてもいい活動じゃないかな、と思います。

須坂市は、長野市にとって特別支援のお手本ですね。
そしてそのお手本が、お隣の市だということは、とてもありがたいことだと思います。
これからも、須坂市は、長野市をリードしていってほしいです。icon12

♪       ♪        ♪
余談ですが・・・

百羽のツル」っていう絵本が朗読されたんですが、初めて聞きました。いいお話ですね~。
涙ぐんじゃいました。icon11
とだこうしろうって人(挿絵の人)の本は、にほんちずえほん、せかいちずえほん、カタカナえほんと我が家にありますが、まさかこの方があのような絵本を作ってらしたとは・・・!face08

30年以上前に発行された本のようですが、震災のあった今年、きっと多くの人の心の琴線に触れる本だと思います。icon12  


ゆとり教育廃止と特別支援学級その2

2010年11月13日

 Kchan at 23:06  | Comments(0) | 母の気持ち
ゆとり教育が廃止され、教科書の内容も、進むスピードもレベルアップ。
普通教室で過ごせるかどうかの知的ボーダーラインにある子どもたちや、健常児でも勉強についていけなくなる子の割合が増えていくようです。

そんな時代には、特別支援学級が大きな役割を果たすようになるのではないかと思います。

特別支援学級というのは、文字通り特別な支援を必要とする子たちの学級です。
今は制度上、判定を受けて「特別支援学級が望ましい」と言われた子でないと、在籍することはできません。
つまり固定メンバーです。
そして、そういう子のいない小学校には、特別支援学級がありません。
でも、特別な支援を必要とするのは、障害のある子に限りません
自分のクラスに入ることのできない、登校拒否の子たち。
ある教科だけちょっと授業からこぼれ気味で、ゆっくり丁寧な個別指導を必要とする子たち。

ある特別支援のプロの先生がこんなことをおっしゃっていました。
特別支援学級を、障害児だけに特定した(いわばメンバーが固定した)学級にするのではなく、支援を必要とするすべての子どもたちがその時々で出たり入ったりする学級にするべきだ、と。
そして、特別支援学級は、オアシスではなく、子どもたちが力を蓄えて普通学級に戻っていくための発射台として位置づけるべきである、と。

そういう意味では、今後特別支援学級に求められる役割も変わってくるのではないかと思います。
今までのような「特別支援学級判定」をもらった固定メンバーという、制限された使い方ではなく、誰もが必要に応じて個別指導を受けられる場所になっていくのではないかと思います。
そして、支援を必要とする子は実はどこの小学校にもいるのですから、すべての小中学校に特別支援学級が設置されるべきだと思います。
(今は、障害児が3人いないと特別支援学級が開設されないことになっている)

♪♪♪
フィンランドの例を読んだので、紹介します。
ゆとり教育をしているのに国際的な学習到達度調査でトップの成績をあげているフィンランド。(日本より授業時間が少ないそうです)
フィンランドの中学校では、クラスの三分の一にあたる子どもたちが、特別学級に振り分けられているといいます。つまり、授業についていけなくなった子に対する個別教育が行われているのです。


ついていけなくなった子は取り出してその教科だけ個別に教えてあげる。
その他の活動はみんな一緒。
そういう体制が整ってくれば、ゆとり教育が廃止になった今後も、障害児のインクルージョンは後退することなく、却って進んでいけるのではないかと思います。
一緒に過ごせるところは、みんな一緒に。
けれども、それぞれ苦手な部分の支援が受けられる。
そういう環境があれば、どの子にとっても、安心なのではないでしょうか。  


ゆとり教育廃止と特別支援学級その1

2010年11月12日

 Kchan at 08:05  | Comments(0) | 母の気持ち
ゆとり教育についてどうこう議論することはこのブログの目的ではないのですが、障害児の親から見た視点を書いてみたいと思います。

それはひとことで言えば、「インクルージョンが時代と共に進んできた背景には、ゆとり教育のおかげもあったんじゃないかということです。
(インクルージョン:この場合は、障害児も普通小学校、普通教室に入ってみんなと一緒に学ぶこと)

ゆとり教育世代が掛け算九九を2年生の冬ごろ学び始めたものを、新しい教科書では2年生のはじめの方で学ばなければならなくなったようです。
それまで2年生の前半のほとんどは、足し算引き算をしっかり定着させることに重点を置いていたような気がします。
教科書の進度、内容ともにスピード化、高度化がすすんでくれば、もちろんそれだけ障害児が授業に遅れていく度合いも大きくなるでしょう(この場合は軽度の知的障害の子ですが)。

問題は、今までボーダーラインにいた子たちです。
これまで普通学級でなんとか過ごせていた子たちが、学校の勉強についていけなくなる。
軽度の知的障害のある子だけではありません。
周りの話によると、健常の子たちでさえ、授業についていけなくなる子が以前より増えてきているようです。
昔から、健常の子でも授業についていけない子はある一定の割合でいたのですから、それは当然といえば当然ですが。
そうなるとますます発達の遅れ気味の子がみんなと共に同じ教室で勉強することが、困難な時代がやってくるのかもしれません。

つづく  


障害児の就園

2010年10月26日

 Kchan at 15:59  | Comments(0) | 母の気持ち
前々回と少し内容がかぶるところもありますが・・・

もうじき長野市の保育園の願書受付が始まります。
ここへきて、周りのお母さんたちからいろんな悩みの声が聞かれます。

長野市には、そもそも市立の幼稚園がありません。
(注:中条村と合併したことで、認定こども園なかじょう保育園が市立となったようですが)
市立保育園に入れる条件は3つ。
1)長野市に在住していること
2)集団生活ができること
3)家庭が保育に欠けること

・・・この条件を見るだけで、障害児の親は心理的に弾かれそうになります。
まずは2)。集団生活ができるって?どの程度のことを言うの?
・・・まずそこが難関。
(加配なんてことばは、そこにはひとつも出てこない)

そして3)。「同年代の子どもたちと遊ばせたい」「集団生活で心身の発達を促したい」という理由では、長野市の保育園に入ることはできないのです。

確かに母親が働いているのが保育園の条件だけど、正直言って、障害児の母親は仕事なんてできないのが実情
(だって、訓練や通院もあるし、身体が弱ければいつ何が起こるかわからないし。)

保育園というのは、親が面倒見れない家庭の児童福祉施設。
この文面からは、「預かってもらえるだけでもありがたいと思ってください」みたいな感じを受けるのよね。
事実そうなのかもしれないけど。
それ以上の、保育の内容なんて、問えない感じ。

そう思うと、子どもの発達のため、「同年代の子どもたちと遊ばせ、刺激を受けて成長させたい」「集団生活で心身の発達を促したい」という目的の親は、幼稚園かな?ということになるのですが・・・

幼稚園は、やっぱり門前払いという話を今年も身近に聞きます。
幼稚園は、文部科学省所管の学校ですから、基本お勉強するところなのかな?・・・障害児に対しては厳しいところなんだと思います。
市立の幼稚園だったら、門前払いはできないでしょう。
幼児期の集団保育は人間形成にとても大事なんですよ。
その目的で入れるような園を長野市に作るか、受け入れを確保すべきではないでしょうか。

門前払いをくった障害児が他の子どもたちと共に過ごし、発達を促してもらうためには、どうしたらいいんでしょうか?
受け入れてくれそうなのは前に紹介した、キリスト教系または仏教系の幼稚園が挙げられます。

でもどうも、長野市は学校法人である幼稚園には障害児ひとりあたりにつき補助金を出しているようですが、宗教法人の幼稚園(宗教系)には補助金をほとんど出していないという実情があるようです。

同じ長野市の子どもですよ?

補助金がなくて加配をつけられず、限られた人数の中で障害のある子どもたちを見るのは大変です。
宗教法人の幼稚園の方が圧倒的に受け入れがよいのに、変な話です。

ここでも長野市の、「市立じゃなければうちには関係ない」という態度が見えます。
(県立の養護学校へ行った子どもに対しても、長野市は「県立だから」と同じような無関心な態度をとっていました)

こうなったら、長野市に特別支援学校の幼稚部を作ってもらおうじゃないですか。
長野市社会事業協会に総合発達支援センターを設立させ、「やりたければやれば」という態度でいる場合じゃないですよ。
本来、障害児の早期療育は長野市が担うべき役割のはずです。
親に情報を提供し、早期療育を進めていくことで、将来自立して仕事もできる子どもが育つかもしれません。
障害児の乳幼児期の療育と保育はとても大事なんです。
それなのに、民間に委託していながら、補助金を年々減らしている長野市。
(児童デイサービスには、年々しわ寄せが大きくなってきています)

障害児保育だけでなく、今後長野市立の保育園は民営化や統合に向かうようです。
その是非はともかく、長野市は今後子育てにかけるお金をどんどん減らしていくつもりなんでしょうか。
長い目で見て、子育てに投資することはムダにはならないはずです。
長野市の未来を担う子どもたちですよ。
もっと長い目で見て、心豊かな人間が育つよう、障害児も集団の中で保育され、お互いによい影響を与え合えるような環境を作ってほしいものです。  


長野市の障害児の就園・就学は厳しい!?

2010年10月11日

 Kchan at 01:43  | Comments(0) | 母の気持ち
毎年この時期は、就園・就学のことで障害のある子をもつお母さんたちが悩んでいるころです。

周りからも
「養護学校(特別支援学校)判定が出たら、うちは絶対にお断りです」
と学校から釘をさされ、落ち込んでいる話や、
保育園には3人障害児がいないと加配の先生をつけてくれない、つくかどうかの答えは2月ごろです、と言われて困っている話(2月にダメになっても、他に行くところがないですからね~)などが入ってきます。

どうも、長野市は、長野県全体からしても、障害児の就園・就学について、条件が悪いようです。

やはり、大きな都市になると、小回りがきかないということなのでしょうか。

県内の他の市の保育園では、障害児が1人でもひとり加配の先生をつけてくれるようです。
それに、養護学校判定でも普通小学校に進んでいた子が、長野市と合併したとたんに小学校を追い出されたという話も聞きます。

教育委員会の説明では、「就学判定がどうでようと、最終的には親の希望で進学先を決めます」と言っていたのに・・・・
あれはただの建前だったの?

あるいは他の町村では、医療的行為が必要な子に看護士の資格をもつ介助員をつけて、普通小学校に進学しています。
長野市では即お断りです。

障害のある子もない子も、共に生きるという選択は、今の長野市では難しいようです。

ある障害のある子のお母さんが言ってました。

「障害のある子が生まれたとき、泣いたけれど、それは受け入れることができ、育児も楽しくなってきました。
けれど、障害のある子を持つ母にとっての本当の厳しい壁は、行政です」と。

障害をもつ子の母が、長野市に住んでいることを後悔しないように。
やはりトップに立つ人次第なのかな。

障害のある子をもつ母が、行政を変えていくためにはどうしたらいいか?
次に考えてみます。  


長野県の病院を舞台にした漫画

2010年10月04日

 Kchan at 07:39  | Comments(0) | 母の気持ち
長野県立こども病院を舞台にし、そこで働くお医者さんたちをモデルにしたマンガがあります。

『天使のいる場所~Dr.ぴよこの研修ノート』(1~6巻(今のところ))折原みと

折原みとさんといえば、むか~しむか~し、講談社X文庫(ティーンズハート)の「夢みるように、愛したい」「天使の降る夜」「エンジェル・ティアーが聴こえる」なんて小説を読みました。
マンガ家でもあり、小説家でもあるんですよね。

『天使のいる場所』は、ぴよこという新米研修医を主人公に、こども病院で子どもたちとのいろいろな出会いを通して医師として成長していくというお話です。
未熟児の子、障害をもって生まれた子、ガン治療を受けている子、残念ながら亡くなってしまう子
そういう子どもたちや、とまどうその親たちともまっすぐに向き合い、素晴らしいお医者さんたちにも育てられて、素敵な医師になっていきます。

5巻は障害をもって生まれた子の話です。

障害をもった我が子をベビーカーにのせて、公園に散歩に行きます。
鼻にチューブをつけたりして、見るからに障害のあるとわかる子のところに、子どもが集まってきます。

「お鼻に何を入れてるの?」「あのお兄ちゃんなんで大きいのにねんねしてるの?」
そう質問した子の母親が「こらっ、失礼なこと聞かないの!」とたしなめます。
すると障害のある子の母親が言います。
「いいんですよ。気を遣って目をそらされるより、聞いてもらったほうがうれしいです」
・・・目をそらさないでほしい。自分には無関係だと思わないでほしい。

確かに、遠巻きに眺めて目をそらされるよりも、「どうしたの?」って聞いてもらえる方がいいかも。
失礼なことを言ってしまわないようにと、話題にすることすらタブーにされるよりも、たとえ悪意のない失言があっても、関わろうとしてくれる人の方がありがたい。
そういう点では、子どもの方が、やはり障害のある子と関わるのはうまいのかもしれないな。

機会があったら読んでみてください。
(子ども病院に通ったことのある人なら、「あ、この建物」とか、部屋の感じとか、わかるかもしれませんね)

♪♪♪

そういえば折原みとさんは信濃毎日新聞で「前を向いて歩こう!」というコラムを連載してましたよね。(今も?)
10代の子たちに、前向きで人生の先輩らしいメッセージを送っていた記憶があります。

そして、2004年の5月、長野県富士見高原に、犬と入れるカフェ&ギャラリー『八ヶ岳わんこ物語』をオープンしたそうです。
http://web01.joetsu.ne.jp/~cukky127/okiniiri.html

人気のあるカフェだったようですが、残念ながら折原さんのお仕事が忙しく、2008年10月末に閉店したようですけど。

長野県にゆかりのある人なのかな。

  


しゃべらない子たちへの誤解

2010年08月31日

 Kchan at 07:06  | Comments(0) | 母の気持ち
前々回、交流先の保育者が、障害児に声をかけてくれない(あいさつとか)という問題があることについて書きました。

ふつう、子どもや大人が新しく園を訪れたら、「こんにちは」「よく来たね」くらいは口から出てくるものです。
なぜ、障害のある子だとそういう問題が出てくるのか・・・と考えると、おそらく

「しゃべらない子は、何もわかっていない」という誤解

があるのではないかと思います。

この子には、何を言ってもわからない、そういう思いがあると、たとえば反応の返ってこない壁に向かって話しかけるようなむなしさがあり、できない(心理的に抵抗がある)・・・そういう部分があるのかな、と思います。(あくまで想像ですが)

♪♪♪

ひと昔前まで、耳の聞こえない子どもたちは、知的障害者と混同されていたそうです。
本当はわかるのに、耳が聞こえないために、話し言葉が習得できない。
話せないので、何もわかっていない、と誤解されていたのです。

でも今は、聴覚に障害のある人でも、知的にはなんら問題ないことがわかっています。

耳の聞こえない子どもたちへの誤解と同じような誤解が、知的障害のある子どもたちにも起こりやすいと思います。

ことばには表出言語理解言語があります。
しゃべる力と、聞いたことばを理解する力です。
このふたつは同じではありません。
どの子も理解言語の方が先に来るのです。
赤ちゃんも、しゃべれない時代も、大人の言うことはわかっています。
知的障害のある子の多くは、表出言語が苦手でも、理解言語はたくさんあります
(だから馬鹿にしたりすると、ちゃんとわかって、傷つくんですよ)

でもなぜか人は、しゃべれない相手に「何もわかっていない」と思ってしまいがちなんですよね。

ある日突然、自分が脳梗塞になって、口のろれつがまわらなくなったとしましょう。
相手の言うことはちゃんとわかっています。
頭も今まで通り働いています。
でもなぜか、口だけがうまく動かないのです。
どうやら、そのための脳の部分が、やられてしまったみたいです。
するとどういうわけか、口のろれつがまわらないだけなのに、周りの人間からは、知的にも低下したと誤解されてしまうものなのです。

同様に知的障害のある子どもにとって、しゃべるために必要ないくつかの器官に障害がある場合があります。
音を聞き取って真似して音を出すには、口の筋肉の動かし方、舌の動かし方、その他いろいろな器官の微妙な調整が必要です。
しゃべるということは、実はとても大変なことなのです。
しゃべれないとしても、こちらの言っていることはわかっていることを、一般の人にもわかってほしいな、と思います。
(コミュニケーションについての話につづきます)  


幼稚園・保育園のこと その2

2010年08月08日

 Kchan at 08:05  | Comments(0) | 母の気持ち
我が子が障害をもっていても、病院や児童デイサービスではみんなその子を暖かく迎えてくれます。

もしかして、障害児の親が世間の壁というものにぶちあたる最初が、「幼稚園・保育園への入園」かもしれません

大事に大事に育んできた愛するわが子が、「あ、うちは障害のある子はお断りです」とにべもなく門前払いされる経験は、聞くと経験するとでは大違い。
やはり、わが子が社会全体から拒絶されたような気持ちになり、悲観して心のバランスを失ってしまうお母さんもいるようです

そんな嫌な思いをするお母さんが減るためにも、お母さんが単身幼稚園や保育園に乗り込んで話をつけるのは、避けた方がよさそうです。

児童デイサービスや通園施設では、お子さんの保育園への移行支援に力を入れているところが増えています。
その子の日ごろのことよく知っている児童デイサービスのスタッフに相談し、障害者相談支援専門員療育コーディネータと連携をとってもらい、そういう人を間に立てて園や市と交渉するのがおすすめです。

こうした人たちは市内のいろいろな園の事情を知っているので、門前払いするとわかっている園にわざわざ行って傷つくような事態は避けられます。
それだけでなく、こちらの希望を園や市側に伝え、どうすればいいか一緒に考えてくれます。
さらに、入園したらそれで終わりではなく、月に一度くらい園を訪れてその子や保育の様子を見て、園の側にこうしたらどうでしょうか、などとアドバイスをしたりもしてくれるようですので、親がひとりでがんばるのではなく、こうした支援員に手伝ってもらうのがいいと思います。

かつてはすべてが親の肩にかかってきて、ひとりで抱え込んで世間と闘ってこなければなりませんでしたが、今は強~い味方がいるので、ぜひ活用してみてください。face01  


幼稚園・保育園のこと

2010年08月04日

 Kchan at 07:58  | Comments(0) | 母の気持ち
私は長野市で生まれ、長野市で育ちましたが、結婚してからしばらく県外に住んでいました。

そこで子供を幼稚園に入れましたが、それはその地域で唯一、障害のある子供たちを受け入れている幼稚園でした。

重度の障害をもった車いすの子も何人もクラスに混じっていました
長野市では考えられないことです。
知的障害の子もいました。
頭にヘッドギアのようなものをつけている子(てんかん?)、身体に障害のある子、いろんな子が通っていました。

運動会では、クラスメートの子たちが車いすを押してゴールインしていました
山登り競争では、車いすの子を抱えた男性の保育士が、山をかけ上っていました。
先生たちは手話を習っていました。
子供たちも、みんなで手話を交えて歌を歌っていました。
すばらしい、理想的な幼稚園だったと思います。

♪♪♪
・長野市の私立幼稚園

長野市の幼稚園は、障害があると言っただけで多くの場合門前払いです。
上の県外の幼稚園はキリスト教系の幼稚園でしたが、
長野市で障害のある子供を受け入れている私立の幼稚園・保育園というのもやはりキリスト教系か仏教系だと思います。
障害があってもなくても、神様(仏様)の前ではみんな同じ子供たち、という理念があるんだと思います)
名前をあげれば、旭幼稚園善光寺保育園などがそうらしいと聞いています。
(個々のケースについては、問い合わせてみてください)

旭幼稚園ホームページ:http://www.dia.janis.or.jp/~asahi-k/
善光寺保育園ホームページ:http://www.hoiku-nagano.com/zenkouji/top.htm
・長野市の公立保育園

一方、長野市立の保育園に入るには、歩けることが前提のようです。「デイサービスがあるじゃないか」ということになるようです。
また、知的障害の子が保育園に入るのに加配の先生がひとりつくには、そこに3人の障害児がいることが原則のようです。
うちは3人に達しないので、加配の先生をつけられませんので・・・とお断りされるケースもあるようです。

3人の障害児が同じ園に入る可能性って、限りなくゼロに近い
んですけど・・・
これを決める権限をもつのは園長先生ではなく市の保育課のようですね。

地域の小学校を希望する親が、その近くの保育園を希望することはよくあることです。
障害のある子なら余計、偏見のない小さいうちから地域の仲間と一緒に過ごさせたいと思うものです。

幼稚園や保育園でさえ、障害のない子とある子がいっしょに過ごすには、いろいろと制約があるんですね。face07

つづく  


同じ長野市の子どもだから

2010年07月22日

 Kchan at 08:15  | Comments(0) | 母の気持ち
母の気持ちを続けて書いてきましたがそろそろこのあたりで一段落です。
今回は「同じ長野市の子どもだから」と題しました。

長野市の子どもたちは、市立の小中学校に通っています。
そこで、学校に通うまでの交通の便(遠い子の場合)や交通費、放課後や夏休み中の預かりの充実などについては、長野市が面倒を見てくれます。

ところが、障害のある子たちは、蚊帳の外になり、長野市に面倒を見てもらえないのです。

それは、養護学校が県立だからです。

困っていることを長野市にお願いすると、「養護学校は県立だから」と言われます。
学校にお願いすると、「親の責任でお願いします」と言われます。

そう、障害のある子どものことはエアポケットのように、死角になっていて、長野市でも県立学校側でもみてもらえないことになっているのです。
縦割り行政の悪い面のしわ寄せが、モロに障害のある子どもとその家族に振りかかっています。

同じ長野市の子どもなんだから、長野市で面倒見てくれないものでしょうかね?
そう考えると、やっぱり県立だからダメなんだ、ということになります。

長野市立の養護学校が欲しい!(須坂市みたいな)

そんな願いがあります。
母体が大きすぎると、何にせよ要求しても実現まで時間がかかりすぎ、その間に事情を知っている親が卒業していって、また新しい親が一から要求しなければならない、ということの繰り返しになってしまいます。

しかしとりあえず、障害のある子とない子で分けられているようなしくみをやめ、長野市が長野市の子どもをまとめて面倒見てくれるようなシステムにしてくれないものでしょうか。
「子ども課」みたいに一本化して。
管轄が違うから長野市は面倒見れません、みたいなことにならないためにも。

<障害のある子の親が困っていること>

・養護学校に通っている子は親が送り迎えしなければならない(稲荷山養護の場合。肢体不自由の子は稲荷山に行くのが普通です)
・その交通費はセンター生の場合支給されない(センター生というのは、訓練をたくさんしてもらえる子どものことです)
・養護学校には児童センターのようなところはなく、放課後や夏休み中預かってもらえるところがない、・民間のところは満杯で毎日は預かってもらえない、学校からの送り迎えは親がしなければならない(これでは親は働けません)
・しかも有料である(障害のない子たちは無料です)

・・・など、長野市の子どもたちが受けている恩恵を、障害のある子は受けられなくなっています。

健常の子どもは大きくなると手がかからなくなってきますが、障害のある子どもは逆に大きくなるほど大変になってくる面があります。
小学校4年生になったから家でひとりで留守番、というわけにはいかないのです。
だからこそ、障害のある子の方も手厚く面倒をみてほしいと思います。

これからいろいろな機会をとらえて声をあげていかなければと思います。
障害児の親は強くなければ。icon09