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養護学校はパンク状態!?

2010年07月20日

 Kchan at 08:14  | Comments(0) | 母の気持ち
養護学校(正確には特別支援学校)の高等部は生徒数が増えすぎてパンク状態だというのはご存知でしょうか。
長野でもそうですし、全国的にもその傾向があるそうです。

子どもの数が減っているのにどうして?と思われるかもしれません。

それは、これまで「ちょっと変わった子」とか「落ち着きのない子」などと言われてきた子の中に、正式に発達障害や情緒障害の診断がつくようになり、そうした高機能(知的能力は高い)の障害に対する理解が進んだためと言われます。

障害があるとわかっている子は普通高校に受け入れられず、学力の高い子たちが養護学校に入ってくるようになったのです。

小・中学校を普通小中学校の普通学級や特別支援学級で過ごした、障害のある子どもたちもどっと入ってきます。

そういうわけで、養護学校の高等部では、それこそ学力の非常に高い子から、ほとんど学科の勉強をしてこなかった子まで学力の差の大きな生徒たちを相手に教えなければならなくなりました

そして、かつてはなかった、普通高校が抱えているような生活指導上の問題も、養護学校で起こるようになったのです。
養護学校の高等部の先生方は非常な困難を抱えているのです。

これは、普通小中学校で学んだ、障害のある子どもたちを受け入れる場所が他にないことが原因です。

確かに高校は義務教育ではありません。でも養護学校の高等部を見てもわかるように、ほとんどの障害のある子も高校まで進んでいます
今は高校全入時代といってもよく、そのために「高校無償化」などが出てきたのです。

そこで、入試を経て入学する高校と、養護学校の高等部との中間に位置する「受け皿」が求められています

今、高校の先生方を中心に、「高等学校に特別支援学級を」という声が出始めているそうです。しかし障害のある子どもを相手に教育を行う技能、知識、経験のある先生が少なく、実現していないのが現状です。

生徒数が減って空き教室が増えていく今、養護学校と普通高校の中間に位置する高等学校の特別支援学級が実現するといいなと思います。
  


知的障害がないのに普通小学校に入れない?つづき

2010年07月18日

 Kchan at 07:19  | Comments(0) | 母の気持ち
前回は、車いすの子について書きました。
車いすの子ではなく、普通に歩けて生活している子で知的障害のない子でも、普通小学校への入学を断られる場合があります。

それは、「医療的行為を必要とする子どもたち」です。

それには痰の吸引、導尿、インシュリン注射などが該当します。

これらの行為は、親やじじばばなどは「本人に準じる」として日常行っていますが、第三者が行うことは認められていないため、看護師の常駐していない学校には入学できません
入学するとしたら、親が同伴しなければならないのです。

長野県では、養護学校でさえ、看護師がつくようになったのがごく最近のことですから、普通小学校に看護師の配置など、まだまだ夢・・・のような現状です。

親が同伴というのは・・・吸引の子だったら、朝登校して、帰るまでの間ずっと、呼ばれたらすぐに行けるように隣の空き教室などに待機していなければなりません。
導尿だったら、親が休み時間のたびに学校に行かなければなりません。
これが6年間(いや、12年間)続くのです。

養護学校だったらいいかというと・・・養護学校でさえ看護士の数が足りないので(数年前ようやくひとりついたくらいですから)、常にケアの必要な子はやはり親が同伴していなければなりません。

義務教育なのに、どの学校を選んでも親が6年間毎日学校に付き添っていなければならないなんて、変ですよね!?
どうせ付き添わなければならないならと、親が普通小学校を選ぶのはわかります。

でも親御さんの負担を思うと、早く法の改正があるか看護師の資格をもった保健の先生を配置してくれることを願います。

今は未熟児の赤ちゃんでも助かる時代になってきました。
それによって、医療行為を必要とする子どもたちの数が増えてきたのです。
医療が発達してきたからこそ出てきた新しいニーズに対して、法そのものも対応していかなければならないと思います。

ちなみに、医療行為は、2005年に法が改正されるまでは、体温の測定や血圧の測定も医療行為とされていました。
保健の先生が(看護師の資格がない人がほとんど)生徒の体温をはかったりしてはいけなかったのです!
これは知りませんでした。(きっとやってましたよね?)

親だって、じじばばだって、もともとはど素人です。
でも、医療行為を必要とする子どもや孫がいるので、必要に迫られて教えてもらい、日常的に行っているわけです。
保健の先生だって、しかるべき研修を受けて、そうした医療行為を行う権限を与えられてもいいと思います。
それによって、子どもたちの経験できる範囲が、ものすごく広がるのですから。

2004年10月21日に、厚生労働省は養護学校の教員も、「たん吸引」、「経管栄養」、「導尿」の医療行為について一定の条件のもとに認める通達を出しました。
養護学校の普通の先生がOKなら、普通小学校の保健の先生にも・・・あと一歩です!
今、小児科医師の団体などが、法の改正を求めて国に申し入れをしているようです。

♪♪♪
千葉県では、2010年の4月から、3人の吸引の必要な子どもたちが普通学級に入学したことが報じられています。
看護師資格を持つ介助員を配置するということです。
けれども長野では、保健の先生で看護師の資格をもった人がいても、看護師として雇用されているわけではないので、やはり医療的行為はできないとされています。
(たぶん給料が違うから?)
千葉のケースを参考にして、長野でも臨機応変な対応をしてほしいものです。

私の知人でも、小学校6年間の間に医療行為が必要なくなる、もしくは自分でできるようになることを見越して、普通小学校を選んでいる人がいました。(他県ですが)
親が毎日小学校に通っています。
だってその他の面は他のこどもと変わりなく生活できるし、勉強もできるんですから。

こうした状況が、早く改善されることを願います。  


知的障害がないのに普通小学校に入れない?

2010年07月16日

 Kchan at 07:56  | Comments(0) | 母の気持ち
これまで、普通小学校で学ぶことのメリットについて、ひとりの親の気持ちとして書いてきました。

「学校の勉強がわからないんだから、わからない中、座ってるだけじゃその子もつらいだけなんじゃないの?」
という意見もあるだろうと思います。

その意見の是非はともかく、知的障害があってさえも、親は普通学校で学ぶことのメリットが大きいことを考えているのです。
(算数と国語だけ別室で教えてもらってあとは普通学級で過ごすとか、いろいろなやり方があるはずです)

それをふまえると、ましてや学校の授業についていける知的能力をもった子供たちなどは、ぜひ普通小学校で学ばせてあげたいと思うものです。

ところがそれもままならないのが、今の長野市の現状なのです。

♪♪♪
『五体不満足』というベストセラー本を書き、ニュースキャスターや教諭の経験もある乙武洋匡さんは、生まれつき両腕両足がないという障害を抱えながら、普通高校を卒業して早稲田大学を卒業しました。

車いすで普通のお仕事をされている方はたくさんいます。
長野市役所など公的な職場で働いている車いすの方はよく見かけますよね。

長野市で、エレベータのある小学校は共和小学校ただひとつです。
そこで、車いすの子が小学校に行きたいと思う場合、その子の親は引っ越すか毎日の送迎をして、共和小学校に通う道を選ぶことができます。

その子が中学になりました。
中学校も、エレベータのある中学校で学びたいと考え、探してみました。
長野市に、エレベータのある中学校はありません。
そこで、車いすの子は、普通中学校に入学することはできないのです。
養護学校の中等部となります。

これって変だと思いませんか?

エレベータは高価なものですから、すべての中学校にエレベータをつけろなどとは言いません。
でも市内にひとつくらい、中学校にエレベータをつけてもいいのではないかというのです。
特に、これから新しく建てる中学校には。
(できれば、共和小学校の子供たちが通う中学校にできるといいんですけどね・・・。)

♪♪♪
でも、施設の問題だけではないのと思うのです。

「エレベーターがないからこの学校には入れません」というのは、車いすの人に「この駅にはエレベーターがないから、電車は利用しないでください」というのと同じではないでしょうか。

長野駅は、エレベーターのないホームがけっこうあります。
今ようやく改築中ですが、それまでは新幹線のある長野駅でさえ、「ベビーカーの人や車いすの人は利用しないでください」ということだったのでしょうか。

そんなことはないですよね。
行きがかりの人や駅員さんの手を借りて、利用していたはずです。
施設の問題があれば、周りの人間が手を貸すのが一般社会というもので、「施設が整っていないから利用できません」というのは変だと思います。

毎日のことだから大変?
そういう発想なら、車いすの人だってエレベーターのないところには結局遠慮して行けないことになりますよね。
学校など、その子の属するクラスだけ毎年1階の教室にすればすむだけの話です。
スロープくらいならすぐにつくでしょう。
特別教室に移動するときは、周りが手を貸せばよいのです。

そういう姿を見て、子どもたちは将来バリアフリー社会を作るのではないでしょうか。
施設がないからダメというのは、ひいては施設のバリアフリー化を言い訳に心のバリアフリーが進まないことにつながります。
(エレベーターがあるんだから、私たちは何も手を貸す必要はないでしょ、みたいな)

長野市内で、近年普通中学校を卒業した車いすの子がいます。
その中学では、先生が特に頼まなくても、男子も女子も関係なく、みんなで車いすをかついで階段を昇り降りして三年間過ごしていたということです。
その子の存在のおかげでとてもまとまったいいクラスになったということでした。

「エレベーターがないから、車いすの子(人)はダメ」
という発想は、変えていかなければならない
のではないかと思います。
つづく。  


養護学校ってどんなところ?つづき

2010年07月14日

 Kchan at 07:49  | Comments(2) | 母の気持ち
今回は養護学校に子どもを通わせる親の負担について、ちょっと訴えたいと思います。icon10

養護学校の最大の難点は、住んでいるところから遠いということです。

(そこから、地域で育てられない、近所の子どもたちとの交流がなくなるというデメリットが出てきます。私も子どもの頃そうでしたが、小学校の違う子とは、いくら近所に住んでいてもまったくしゃべったことも遊んだこともありませんでした。)

長野養護学校は主に知的障害の子で、肢体不自由の子はたいてい稲荷山養護学校に行きます。
(知的障害の子も稲荷山に入れます)
これは施設面その他の面で、肢体不自由の子にはどうしてもそちらの方が整っているからです。

稲荷山というと、私も子どもを訓練に通わせているからわかりますが、千曲市の長野市寄りにあり、家から結構遠いです。
送迎バスがあるじゃないかというかもしれませんが、送迎バスは利用できない子が多く、たいていは親が遠方まで毎日送り迎えしています。
稲荷山では新1年生は全員バスには乗れないそうです。
帰りは2時半とかで早いです。
すると迎えにいくのに家を出る時間は1時半とかそんなもんです。
幼稚園並の下校時間です。
もちろん親は仕事ができません
きょうだいの授業参観の参加さえもままなりません。
ひとりめが障害のある子だった家では、「2人目がほしいけど、送迎のことを考えるととても無理だよね」と子供をあきらめている人もいます。
仕事をあきらめている人はもっといます。

課外の部活動はありません
放課後や夏休みに子供を預かってくれる児童センターのようなものはありません
民間で放課後預かってくれるところは、人数がいっぱいで週に2日までが限度だといううことです。
そこまでも、親が迎えに行ってつれていかなければなりません
タクシーを使うと、膨大な金額がかかります。

看護士さんは学校にふたりいます。
その看護士さんも、親が署名を集めて毎年嘆願したところ、ようやく7~8年前にひとり確保できたところです。
また年々嘆願をして、ひとり増やしてもらいました。
しかし看護士さんの数が足りないので、常時医療的ケアを必要とする子は、養護学校でさえも子どもだけでは入れないというのが現状です。
入れないというより、入りたかったら親が一緒に登校して一日中学校で共に過ごし、一緒に下校してこなければなりません
なんのための養護学校なのか・・・。

つまり、現状では子どもを養護学校に通わせている親の負担はとても大きいということです。
養護学校や特別支援学級に通う子どもには親の収入に応じて交通費などの特別支援教育就学奨励費というものが支給されますが、親が働けないことに比べたらわずかなものでしょう。

肢体不自由の子が普通小学校に入るのは、施設の面で厳しい場合が多いです。
しかし今は、障害をもった大人も、生まれ育った場所から遠く離れたところに大きな施設を作ってそこに集め、まとめて面倒を見るといった中央集中型から、なるべく地域で生活するという地域分散型に移りつつあります。
時代は「なるべく地域へ」という流れになってきているのです。

須坂では、「子どもを地域で育てたい」という親の強い要望を受けて、須坂小学校の余裕教室を改修して養護学校の分教室を作り、来年度から初の市立養護学校(他はみな県立)としてスタートするそうです。

生徒数が減ってきて、教室が余ってきているこれからがチャンスでは?

どうせ生徒3人につき先生2人をつけてくれるなら、空き教室などを利用して希望に応じて地元の普通小学校に受け入れ、その分の先生を配置してもらえるような方向性になったらいいのに、そして地元の子どもたちと触れ合え、将来の地元での生活に備えられたらいいのに、と願う親がいるのも無理からぬ話ではないかと思います。

子どもたちの生活にも、地域分散型を!

次回は「知的障害がないのに普通小学校に入れない?」について書きます。
  


母の気持ち5 養護学校ってどんなところ?

2010年07月12日

 Kchan at 07:11  | Comments(0) | 母の気持ち
【追記】養護学校の先生の数について誤りがあり訂正しました。

養護学校(今は特別支援学校と言います)について少し書こうと思います。

このあたり(長野市周辺部)には、以下の養護学校があります。

1長野県長野養護学校
2長野県若槻養護学校
 ホームページ:http://www.nagano-c.ed.jp/wakayou/
3信州大学教育学部附属特別支援学校
4長野県稲荷山養護学校
5長野県長野ろう学校
6長野県長野盲学校


このうち、2は病気の生徒が東長野病院に入院または通院して治療を受けながら学ぶ学校で、なおったらまた元の学校へ行く、という種類のところです。
3は入学選抜があり、希望して入れるところではありません。
5は耳の聞こえない子ども、6は目の見えない子どもの行くところです。

従って、私が見学して中に入ったことのあるのは、1の長野養護学校と4の稲荷山養護学校だけです。

♪♪♪
養護学校は指導が手厚いですよ、とはよく言われます。
生徒3人につき先生が2人ついています。

普通小学校の普通学級は生徒35人につき先生1人(ただし30人を超えた場合は低学年の場合、助っ人の非常勤講師がひとりつく)、普通小学校の特別支援学級は生徒8人につき先生ひとりですから、もっと手厚いことは確かです。

学校の授業は、知的障害のある子のクラスはいわゆる国語算数理科社会といった教科学習というものはなく、自立を目的とした学習になります。
教科の学習というものは午前30分、午後は(あれば)30分だけです。(私が見学した養護学校の場合)

つまり、普通小学校でみんなが勉強していることをゆっくり、わかりやすく教えてもらえるのが養護学校なのではなく、そもそも教科の学習がほとんどないのが養護学校なのです。
ですから、知的障害の子で養護学校から普通小学校に途中から転入した例はありません。
(それはそうでしょう。勉強していないのに途中から編入できるわけがありません)

つまり言えるのは、養護学校と普通小学校とでは、ものすごく大きな違いがあるということです。
養護学校は教科の勉強ではなく自立の学習になります。
普通小学校へ行ったら教科の勉強が教えてもらえます。

この子にはどちらが大切か。
こんな大きな分かれ道が、早くやってくるのです。
確かに、ひとりでご飯が食べられ、着替えができ、おむつも外れることは、学習に先立ってできていなければならないことです。
これができていないと、普通小学校には入れてもらえません(特別学級であろうと)。

発達のゆっくりな子が人より遅れて2年生になって、食事も着替えもトイレもひとりでできるようになりました。じゃあこれからは普通小学校の特別支援学級に入って、小学校1年生の教科書から、ゆっくり学んでいきましょう。
・・・という道は用意されていないのです。
(他県では、就学猶予といって、1年生になるのを1年遅らせて、普通小学校に受け入れるケースもあります。その良し悪しは別として)

なんにもわからないのではなく、もしかしたらゆっくり、わかりやすく教えたらこの子も読み書き・足し算引き算がわかるようになるかもしれないのに。
将来簡単な本が読めたり、おつりの計算ができるようになるかもしれないのに。

そのためには、普通に考えたら、他の子よりもっと時間をかけることが必要です。
でもそもそもほとんど教科学習の時間がとられていない学校に行ったら、可能性が限定されてしまうと思います。

「養護学校なんて、なければいいのに」という親の気持ちも、あながち不謹慎ではないでしょう。
(養護学校の先生方がすばらしい教育をされていることを否定しているわけではもちろんありません。融通のきかない制度のことを言っているのです)

友達からの刺激も、やはり養護学校の方が少なくなります。
どちらかというと、先生とのやりとりが中心になります。
何度も書きますが、ここは大きな分かれ道なのです。

つづく  


母の気持ち4 普通小学校に行かせたい理由最終回

2010年07月10日

 Kchan at 07:51  | Comments(2) | 母の気持ち
今回は、友達の影響力ということについて。

子どもは、子どもが大好きです。
他の子がやっているのを見ると目を輝かせ、自分も真似しようとします
友達の使っていることば、友達の中で流行っていることなどはすぐに自分も取り入れようとします。
おそらく、仲間の社会に入りたい、受け入れられたいというのは子どもの持っている
本能だからかもしれません。

大人や専門家がいくら寄ってたかって教えても全然できなかったことが、仲間の中に入れたところできるようになった、という例はいくらでもあるものです。

ある子は、滑り台が怖くて、いくら親が「大丈夫だよ」といっても、全然その気にはなれませんでした。
ところがそのとき、同じくらいの子どもがやってきて、すーっと滑っていきました。
すると、あれほどいくら親が言ってもやろうとしなかった子が、自分から滑り台に挑戦したのです。
その子のお母さんはそれを見て、「普通小学校に入れよう」と決心したそうです。

勉強でもなんでも、「やる気」がものを言います。
みんなもやっているから、自分もやりたい」という思いは、強力な動機付けになります
いろいろと発達やことばの遅れている子どもにとって、健常の仲間に入れてあげることは、仲間の力で引っ張りあげてもらい、その子のもっている力を最大限引き出せることが期待されるのです。

何度も言いますが、先生や親は、友達の代わりはできません
子供が仲間と過ごす中で得るものはとても大きいと思うのです。

♪♪♪
みなさんのお子さんが、就学前、つまり6歳で知能テストを受けて、その結果によって「進学コース」と「就職コース」に分けられるとしたら、どう思いますか。
しかも、一度決めたらもうコース変更ができないとしたら。
将来を決めるには早すぎる、と不満に思うのではないでしょうか。

障害のある子どもたちは将来のコースどころではありません。
6歳で、一般社会(一般の子ども社会)で過ごせるかどうかの分かれ道がやってくるのです。

障害の重さによって、勉強の場を分けることはある程度仕方がないとしても、生活の場まで分ける必要があるのでしょうか
先ほどの例で、もしも進学コースの小学生と就職コースの小学生が、学級活動も給食も体育も別々で、お互い顔をあわせることがなく大きくなっていくシステムになっていたとしたら、親として疑問に思うでしょう。
小さい頃から同じような知的能力の子としかつきあえないようになっているというのは、偏っているとは思いませんか。

「百人赤ちゃんが生まれれば、そのうち何人かは目が見えなかったり、足がうまく動かなくなったり、病気だったり、知恵づきが遅かったりする。それが自然なのだから、その百人の赤ちゃんが六歳になったらみんな同じ学校に行けばいいじゃないか。力を補い合って生きていけばいいじゃないか。それが地球家族だろう。」
(「親たちは語る」ミネルヴァ書房)

♪♪♪
障害を持つ子の親の中には、「なまじ養護学校なんてなければいいのにね」という人も少なからずいます。

養護学校ができる前は、障害のある子供たちは教育を受ける権利を保証されておらず、家で過ごしていました。
ですから確かに養護学校ができたのは素晴らしい、画期的なことなのです。

でも、今がベストという形でないことは多くの親が感じています。
時代は次のステージにきていると思います。
次は、障害のある子供たちも、健常の子供たちと共に学校へ行く時代です。

現状がそうでないのは、普通小学校にその準備ができていないからです。
準備ができていないのに普通小学校に行っても、その子にとってよい教育を受けられない可能性があります。
でも、障害児教育の流れを止めないでほしい
いつか障害のない子とある子がいっしょに過ごせる時間が増えるようになってほしい、と思っています。
その子が将来、家と福祉施設の中だけでなく、一般社会でも生きていけるようになるためにも。

スウェーデンでは、障害児のほとんどが普通の小学校で勉強しており、知的障害のある子も同じ小学校の建物の中で勉強しているということです。

何年かかったとしても、いつか障害のある子の親が「養護学校か、普通学校か」で迷う必要のない時代がくるのではないかと思っています。

次回は、養護学校について書きたいと思います。
  


母の気持ち3 普通小学校に行かせたい理由つづき

2010年07月08日

 Kchan at 07:58  | Comments(0) | 母の気持ち
障害があるけれど、普通小学校に行かせたいと思う母の気持ちのつづきです。

前回は仲間と過ごす中でしか身につかない人との付き合い方、社会性ということについて書きました。
具体例をあげます。

ある知的障害の子は、大人になっても、自分の好きなことばかりを話し、人の話を聞くということができませんでした。そこで、会話はいつもちぐはぐになってしまい、周りの人がその人から離れていきました。

その子にそれができないのは、能力がないからではありません。少なくともその子は、その能力がある子でした。
ただ、これまでだれも、「ちょっと、今はこの話をしてるんでしょ、どうしてそんな話をするの?」と注意してくれる人がいなかっただけなのです。

将来社会に出て、健常の人と共に暮らしていこうと思ったら、ある程度社会のルールを身につけなければなりません
それにはやはり、健常の社会の中で経験を積むことが一番だと思うのです。

♪♪♪

ある女の子はじゃんけんのグーがパーより弱いとか、チョキがパーより強いとか、そういうことは難しくて全く理解できません。

それでもその子は鬼ごっこなどのとき、ちゃんとじゃんけんに参加し、勝ったか負けたかがわかり、ちゃんとゲームに参加しているのです。
それは、「その場の空気を読むことによって」です。
じゃんけんで勝ったり負けたりすると、それが表情に出ます。その子は、瞬時にメンバーの顔色を読みとって、自分が鬼かそうでないかを判断するというのです。

知的障害のある子には、そういう人の顔色を読むとかその場の空気を読む力が非常に発達した子がいます。
それも、健常の社会で生きていくために必要に迫られて身に付いたものです。

また、ある子は、お金の計算などまったくできないというのに、いつも問題なく切符を買ってひとりで電車に乗れます。

それは、券売機にお金を入れたら一番左にある安い切符を買って電車に乗り、でるときにその駅の駅員さんに券を見せて差額分をお財布からとってもらう、という方法によってでした。
買い物だってできます。1000円札を出して、レジのお姉さんの顔を見ます。足りない顔をしていたら、もう一枚お札を出すか、品物を減らします。
こうして大抵うまくやっているのだそうです。

このように、「ルールが理解できなければじゃんけんはできない」「お金の計算ができなければひとりで電車に乗れない。買い物はできない」などと、大人が心配してできっこないと決め付けがちですが、子供たちは実生活の中で生き抜く知恵を身につけていくものなのだと思います。
普通小学校でも、「ここでやっていることはこの子の能力を超えているから、やっていけっこない」と決め付けがちですが、行ったら行ったでその子なりの人とは違った方法で、そこでやっていく知恵を身につけていくものなのだと思います。

だって「普通小学校ではあなたはやっていけません」というのは「一般社会ではあなたはやっていけません」ということですからね。
(これは全然別問題だという人もいるでしょうが、根本的な部分では同じでしょう)

それは本当にそうかもしれませんが、まだ入学の時点で6歳ですよ~。
6歳でそんな先の可能性まで決められますか。
養護学校に一度入ったら、途中から普通小学校には移れません。
障害のある子はわずか6歳の時点でまったく違った人生のコースを選択しなければならず、選びなおしは効かないのです。
(普通小学校から養護学校へは変えられますが)
そこに親の悩みがあるわけです。

養護学校がダメだと言っているわけではありません。
今からこの子の可能性をつぶしたくない、でも無理もさせたくない。
どちらも一長一短、どの親も悩みぬいたあげくに普通小学校か養護学校かを選択しています。
「見栄」とか「エゴ」とか、簡単に言わないでね。icon10

次回は「友達の影響力」ということについてです。  


母の気持ち2 どうして普通小学校に行かせたいのか

2010年07月06日

 Kchan at 07:56  | Comments(0) | 母の気持ち
なぜ障害があるのに、養護学校に行かせないで普通小学校に入れたがるの?
それって見栄じゃない?


と思う人がいるかもしれません。

それについて、ひとりの親としての気持ちを書いてみたいと思います。

♪♪♪

みなさんは、もしお子さんが突然「塾に行くから、学校は行かなくてもいいでしょ?」と言ったらどうしますか?

「学校の勉強ってゆっくりなんだもん、なんだか行っても無駄。それだったら家で勉強してた方が効率がいいよ。塾も行ってるし、別に学校なんて行かなくてもいいんじゃない?」と言ったら。

「あ、そう。じゃいいよ。」と言う親はあまりいないと思います。

なぜでしょうか。
それは、学校というのは、「勉強だけしにいくところではない」と、多くの親が思っているからではないでしょうか。
勉強は確かに大事です。でも、みんなと一緒に過ごしたり部活動などをする中で集団生活や人とのつきあい方を学び、どういうことをすると人が嫌がるか、どうすれば人が喜んでくれるか、そういうことがわかるようになり、社会の中で生きていけるようになることは学校生活の中の大きな部分だと思います。
つまり、学校は人間関係を学び、社会性を身につける場でもあるのです。

それでは、もしも小さい頃から学校に通わず、家庭教師とマンツーマンに近い形で勉強し、同年代の子供たちとつきあう経験もなく、大人になってしまったら、その子はどうなるでしょうか。
人とのつきあい方がわからない、社会性の乏しい子になってしまうのでは?と親として心配ではありませんか。

普通小学校を希望する、障害のある子を持つ親の気持ちも、それと同じだと思います。

確かに勉強についていくのは難しいでしょう。でも勉強なら、塾で習ったっていいし、家で親が教えたっていいんです。
でも、社会性はどうしたって、仲間と一緒に過ごす中でしか身に付きません
親や先生にはその代わりはできないのです。

次回はその具体例をいくつかあげようと思います。
  


母の気持ち1 学校のこと

2010年07月04日

 Kchan at 08:11  | Comments(0) | 母の気持ち
このブログは割と一般の方が見てくださっているようなので、少しずつですが、「母の気持ち」と題して今の思いもつづっていきたいと思います。

初回は「学校のこと」。

みなさんは、道を歩いていて、向こうから大きな身体をした、明らかに知的障害があると思われる男性が、「うーうー」と言葉にならない声を発しながら近づいてきたら、どう思いますか?

とっさに、「何されるんだろう」「怖い」と思うのではないでしょうか。

もちろん、知的障害がある人がいきなりよその人に殴りかかることなど、普通の人がいきなりよその人に殴りかかることが滅多にないのと同じくらい少ないことです。
でも、よく知らない人で、何を考えているかわからない人がやってくると、そう思ってしまうものなのです。
私だってそうです。
頭では失礼だと思っていながらも、やっぱりそばを通るとき緊張してしまいます。

でも、それはその人をよく知らないから。

もしその同じ人が、小学校の頃一緒のクラスにいたA君だったらどうでしょうか。
「怖い」と思うよりも先に「あ、A君だ」と思うのではないでしょうか。

うちの子を地域の中で育てたい、みんなに顔と名前を知っていてほしい、「あ、知的障害の人だ、怖い」じゃなくて「あ、○○ちゃんだ」と思ってほしい・・・そう思うのは、そんな理由からでもあります。

『わたしたちのトビアス』(セシリア・スベドベリ編/偕成社)
という絵本があります。

トビアスは、スウェーデンに住む5人兄弟の末っ子で、知的障害があります。
この絵本は、トビアスの兄さんと姉さんたちが作りました。
絵を描いたのもトビアスの姉さんです。みんなトビアスが大好きなのです。

「わたしたちに、ふつうでない弟がいてよかったと思いました。
トビアスのおかげで、わたしたちは、ふつうでない人といっしょにくらすことをおぼえるし、ふつうでないとはどういうことかが、わかるようになるからです。」
ふつうの人も、ふつうでない人も、いっしょにいるのがあたりまえだと思います。・・・そしたら、おたがいにこわがらなくなるでしょう。

♪♪♪
障害のある子どもを普通小学校に入れようと思う親のことを、「親のエゴだ」と思う人もいるかもしれません。
でも、少なくとも、障害のある子とない子がいっしょにくらしていくことは、必要だと私は思っています。

生まれたときから別々の施設と園、別々の学校で暮らし、お互いがお互いの存在を知らないままに大きくなって、やがて社会に出たときに、道ですれ違うとお互いが「あ、やだな、怖い」と思ってしまう・・・そんなのはいい社会じゃありません。

障害がある子もない子もいっしょにいるのが当たり前、そんな社会になってほしいな、と願っています。

(学校の話はつづきます)