母の気持ち3 普通小学校に行かせたい理由つづき
2010年07月08日
Kchan at 07:58 | Comments(0) | 母の気持ち
障害があるけれど、普通小学校に行かせたいと思う母の気持ちのつづきです。
前回は仲間と過ごす中でしか身につかない人との付き合い方、社会性ということについて書きました。
具体例をあげます。
ある知的障害の子は、大人になっても、自分の好きなことばかりを話し、人の話を聞くということができませんでした。そこで、会話はいつもちぐはぐになってしまい、周りの人がその人から離れていきました。
その子にそれができないのは、能力がないからではありません。少なくともその子は、その能力がある子でした。
ただ、これまでだれも、「ちょっと、今はこの話をしてるんでしょ、どうしてそんな話をするの?」と注意してくれる人がいなかっただけなのです。
将来社会に出て、健常の人と共に暮らしていこうと思ったら、ある程度社会のルールを身につけなければなりません。
それにはやはり、健常の社会の中で経験を積むことが一番だと思うのです。
♪♪♪
ある女の子はじゃんけんのグーがパーより弱いとか、チョキがパーより強いとか、そういうことは難しくて全く理解できません。
それでもその子は鬼ごっこなどのとき、ちゃんとじゃんけんに参加し、勝ったか負けたかがわかり、ちゃんとゲームに参加しているのです。
それは、「その場の空気を読むことによって」です。
じゃんけんで勝ったり負けたりすると、それが表情に出ます。その子は、瞬時にメンバーの顔色を読みとって、自分が鬼かそうでないかを判断するというのです。
知的障害のある子には、そういう人の顔色を読むとかその場の空気を読む力が非常に発達した子がいます。
それも、健常の社会で生きていくために必要に迫られて身に付いたものです。
また、ある子は、お金の計算などまったくできないというのに、いつも問題なく切符を買ってひとりで電車に乗れます。
それは、券売機にお金を入れたら一番左にある安い切符を買って電車に乗り、でるときにその駅の駅員さんに券を見せて差額分をお財布からとってもらう、という方法によってでした。
買い物だってできます。1000円札を出して、レジのお姉さんの顔を見ます。足りない顔をしていたら、もう一枚お札を出すか、品物を減らします。
こうして大抵うまくやっているのだそうです。
このように、「ルールが理解できなければじゃんけんはできない」「お金の計算ができなければひとりで電車に乗れない。買い物はできない」などと、大人が心配してできっこないと決め付けがちですが、子供たちは実生活の中で生き抜く知恵を身につけていくものなのだと思います。
普通小学校でも、「ここでやっていることはこの子の能力を超えているから、やっていけっこない」と決め付けがちですが、行ったら行ったでその子なりの人とは違った方法で、そこでやっていく知恵を身につけていくものなのだと思います。
だって「普通小学校ではあなたはやっていけません」というのは「一般社会ではあなたはやっていけません」ということですからね。
(これは全然別問題だという人もいるでしょうが、根本的な部分では同じでしょう)
それは本当にそうかもしれませんが、まだ入学の時点で6歳ですよ~。
6歳でそんな先の可能性まで決められますか。
養護学校に一度入ったら、途中から普通小学校には移れません。
障害のある子はわずか6歳の時点でまったく違った人生のコースを選択しなければならず、選びなおしは効かないのです。
(普通小学校から養護学校へは変えられますが)
そこに親の悩みがあるわけです。
養護学校がダメだと言っているわけではありません。
今からこの子の可能性をつぶしたくない、でも無理もさせたくない。
どちらも一長一短、どの親も悩みぬいたあげくに普通小学校か養護学校かを選択しています。
「見栄」とか「エゴ」とか、簡単に言わないでね。
次回は「友達の影響力」ということについてです。
前回は仲間と過ごす中でしか身につかない人との付き合い方、社会性ということについて書きました。
具体例をあげます。
ある知的障害の子は、大人になっても、自分の好きなことばかりを話し、人の話を聞くということができませんでした。そこで、会話はいつもちぐはぐになってしまい、周りの人がその人から離れていきました。
その子にそれができないのは、能力がないからではありません。少なくともその子は、その能力がある子でした。
ただ、これまでだれも、「ちょっと、今はこの話をしてるんでしょ、どうしてそんな話をするの?」と注意してくれる人がいなかっただけなのです。
将来社会に出て、健常の人と共に暮らしていこうと思ったら、ある程度社会のルールを身につけなければなりません。
それにはやはり、健常の社会の中で経験を積むことが一番だと思うのです。
♪♪♪
ある女の子はじゃんけんのグーがパーより弱いとか、チョキがパーより強いとか、そういうことは難しくて全く理解できません。
それでもその子は鬼ごっこなどのとき、ちゃんとじゃんけんに参加し、勝ったか負けたかがわかり、ちゃんとゲームに参加しているのです。
それは、「その場の空気を読むことによって」です。
じゃんけんで勝ったり負けたりすると、それが表情に出ます。その子は、瞬時にメンバーの顔色を読みとって、自分が鬼かそうでないかを判断するというのです。
知的障害のある子には、そういう人の顔色を読むとかその場の空気を読む力が非常に発達した子がいます。
それも、健常の社会で生きていくために必要に迫られて身に付いたものです。
また、ある子は、お金の計算などまったくできないというのに、いつも問題なく切符を買ってひとりで電車に乗れます。
それは、券売機にお金を入れたら一番左にある安い切符を買って電車に乗り、でるときにその駅の駅員さんに券を見せて差額分をお財布からとってもらう、という方法によってでした。
買い物だってできます。1000円札を出して、レジのお姉さんの顔を見ます。足りない顔をしていたら、もう一枚お札を出すか、品物を減らします。
こうして大抵うまくやっているのだそうです。
このように、「ルールが理解できなければじゃんけんはできない」「お金の計算ができなければひとりで電車に乗れない。買い物はできない」などと、大人が心配してできっこないと決め付けがちですが、子供たちは実生活の中で生き抜く知恵を身につけていくものなのだと思います。
普通小学校でも、「ここでやっていることはこの子の能力を超えているから、やっていけっこない」と決め付けがちですが、行ったら行ったでその子なりの人とは違った方法で、そこでやっていく知恵を身につけていくものなのだと思います。
だって「普通小学校ではあなたはやっていけません」というのは「一般社会ではあなたはやっていけません」ということですからね。
(これは全然別問題だという人もいるでしょうが、根本的な部分では同じでしょう)
それは本当にそうかもしれませんが、まだ入学の時点で6歳ですよ~。
6歳でそんな先の可能性まで決められますか。
養護学校に一度入ったら、途中から普通小学校には移れません。
障害のある子はわずか6歳の時点でまったく違った人生のコースを選択しなければならず、選びなおしは効かないのです。
(普通小学校から養護学校へは変えられますが)
そこに親の悩みがあるわけです。
養護学校がダメだと言っているわけではありません。
今からこの子の可能性をつぶしたくない、でも無理もさせたくない。
どちらも一長一短、どの親も悩みぬいたあげくに普通小学校か養護学校かを選択しています。
「見栄」とか「エゴ」とか、簡単に言わないでね。

次回は「友達の影響力」ということについてです。
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