母の気持ち4 普通小学校に行かせたい理由最終回
今回は、友達の影響力ということについて。
子どもは、子どもが大好きです。
他の子がやっているのを見ると目を輝かせ、自分も真似しようとします。
友達の使っていることば、友達の中で流行っていることなどはすぐに自分も取り入れようとします。
おそらく、仲間の社会に入りたい、受け入れられたいというのは子どもの持っている
本能だからかもしれません。
大人や専門家がいくら寄ってたかって教えても全然できなかったことが、仲間の中に入れたところできるようになった、という例はいくらでもあるものです。
ある子は、滑り台が怖くて、いくら親が「大丈夫だよ」といっても、全然その気にはなれませんでした。
ところがそのとき、同じくらいの子どもがやってきて、すーっと滑っていきました。
すると、あれほどいくら親が言ってもやろうとしなかった子が、自分から滑り台に挑戦したのです。
その子のお母さんはそれを見て、「普通小学校に入れよう」と決心したそうです。
勉強でもなんでも、「やる気」がものを言います。
「みんなもやっているから、自分もやりたい」という思いは、強力な動機付けになります。
いろいろと発達やことばの遅れている子どもにとって、健常の仲間に入れてあげることは、仲間の力で引っ張りあげてもらい、その子のもっている力を最大限引き出せることが期待されるのです。
何度も言いますが、先生や親は、友達の代わりはできません。
子供が仲間と過ごす中で得るものはとても大きいと思うのです。
♪♪♪
みなさんのお子さんが、就学前、つまり6歳で知能テストを受けて、その結果によって「進学コース」と「就職コース」に分けられるとしたら、どう思いますか。
しかも、一度決めたらもうコース変更ができないとしたら。
将来を決めるには早すぎる、と不満に思うのではないでしょうか。
障害のある子どもたちは将来のコースどころではありません。
6歳で、一般社会(一般の子ども社会)で過ごせるかどうかの分かれ道がやってくるのです。
障害の重さによって、勉強の場を分けることはある程度仕方がないとしても、生活の場まで分ける必要があるのでしょうか。
先ほどの例で、もしも進学コースの小学生と就職コースの小学生が、学級活動も給食も体育も別々で、お互い顔をあわせることがなく大きくなっていくシステムになっていたとしたら、親として疑問に思うでしょう。
小さい頃から同じような知的能力の子としかつきあえないようになっているというのは、偏っているとは思いませんか。
「百人赤ちゃんが生まれれば、そのうち何人かは目が見えなかったり、足がうまく動かなくなったり、病気だったり、知恵づきが遅かったりする。それが自然なのだから、その百人の赤ちゃんが六歳になったらみんな同じ学校に行けばいいじゃないか。力を補い合って生きていけばいいじゃないか。それが地球家族だろう。」
(「親たちは語る」ミネルヴァ書房)
♪♪♪
障害を持つ子の親の中には、「なまじ養護学校なんてなければいいのにね」という人も少なからずいます。
養護学校ができる前は、障害のある子供たちは教育を受ける権利を保証されておらず、家で過ごしていました。
ですから確かに養護学校ができたのは素晴らしい、画期的なことなのです。
でも、今がベストという形でないことは多くの親が感じています。
時代は次のステージにきていると思います。
次は、障害のある子供たちも、健常の子供たちと共に学校へ行く時代です。
現状がそうでないのは、普通小学校にその準備ができていないからです。
準備ができていないのに普通小学校に行っても、その子にとってよい教育を受けられない可能性があります。
でも、障害児教育の流れを止めないでほしい。
いつか障害のない子とある子がいっしょに過ごせる時間が増えるようになってほしい、と思っています。
その子が将来、家と福祉施設の中だけでなく、一般社会でも生きていけるようになるためにも。
スウェーデンでは、障害児のほとんどが普通の小学校で勉強しており、知的障害のある子も同じ小学校の建物の中で勉強しているということです。
何年かかったとしても、いつか障害のある子の親が「養護学校か、普通学校か」で迷う必要のない時代がくるのではないかと思っています。
次回は、養護学校について書きたいと思います。
子どもは、子どもが大好きです。
他の子がやっているのを見ると目を輝かせ、自分も真似しようとします。
友達の使っていることば、友達の中で流行っていることなどはすぐに自分も取り入れようとします。
おそらく、仲間の社会に入りたい、受け入れられたいというのは子どもの持っている
本能だからかもしれません。
大人や専門家がいくら寄ってたかって教えても全然できなかったことが、仲間の中に入れたところできるようになった、という例はいくらでもあるものです。
ある子は、滑り台が怖くて、いくら親が「大丈夫だよ」といっても、全然その気にはなれませんでした。
ところがそのとき、同じくらいの子どもがやってきて、すーっと滑っていきました。
すると、あれほどいくら親が言ってもやろうとしなかった子が、自分から滑り台に挑戦したのです。
その子のお母さんはそれを見て、「普通小学校に入れよう」と決心したそうです。
勉強でもなんでも、「やる気」がものを言います。
「みんなもやっているから、自分もやりたい」という思いは、強力な動機付けになります。
いろいろと発達やことばの遅れている子どもにとって、健常の仲間に入れてあげることは、仲間の力で引っ張りあげてもらい、その子のもっている力を最大限引き出せることが期待されるのです。
何度も言いますが、先生や親は、友達の代わりはできません。
子供が仲間と過ごす中で得るものはとても大きいと思うのです。
♪♪♪
みなさんのお子さんが、就学前、つまり6歳で知能テストを受けて、その結果によって「進学コース」と「就職コース」に分けられるとしたら、どう思いますか。
しかも、一度決めたらもうコース変更ができないとしたら。
将来を決めるには早すぎる、と不満に思うのではないでしょうか。
障害のある子どもたちは将来のコースどころではありません。
6歳で、一般社会(一般の子ども社会)で過ごせるかどうかの分かれ道がやってくるのです。
障害の重さによって、勉強の場を分けることはある程度仕方がないとしても、生活の場まで分ける必要があるのでしょうか。
先ほどの例で、もしも進学コースの小学生と就職コースの小学生が、学級活動も給食も体育も別々で、お互い顔をあわせることがなく大きくなっていくシステムになっていたとしたら、親として疑問に思うでしょう。
小さい頃から同じような知的能力の子としかつきあえないようになっているというのは、偏っているとは思いませんか。
「百人赤ちゃんが生まれれば、そのうち何人かは目が見えなかったり、足がうまく動かなくなったり、病気だったり、知恵づきが遅かったりする。それが自然なのだから、その百人の赤ちゃんが六歳になったらみんな同じ学校に行けばいいじゃないか。力を補い合って生きていけばいいじゃないか。それが地球家族だろう。」
(「親たちは語る」ミネルヴァ書房)
♪♪♪
障害を持つ子の親の中には、「なまじ養護学校なんてなければいいのにね」という人も少なからずいます。
養護学校ができる前は、障害のある子供たちは教育を受ける権利を保証されておらず、家で過ごしていました。
ですから確かに養護学校ができたのは素晴らしい、画期的なことなのです。
でも、今がベストという形でないことは多くの親が感じています。
時代は次のステージにきていると思います。
次は、障害のある子供たちも、健常の子供たちと共に学校へ行く時代です。
現状がそうでないのは、普通小学校にその準備ができていないからです。
準備ができていないのに普通小学校に行っても、その子にとってよい教育を受けられない可能性があります。
でも、障害児教育の流れを止めないでほしい。
いつか障害のない子とある子がいっしょに過ごせる時間が増えるようになってほしい、と思っています。
その子が将来、家と福祉施設の中だけでなく、一般社会でも生きていけるようになるためにも。
スウェーデンでは、障害児のほとんどが普通の小学校で勉強しており、知的障害のある子も同じ小学校の建物の中で勉強しているということです。
何年かかったとしても、いつか障害のある子の親が「養護学校か、普通学校か」で迷う必要のない時代がくるのではないかと思っています。
次回は、養護学校について書きたいと思います。